ヒトリおしゃべり考房 Cinéma de carrière【第14話】

「エリン・ブロコビッチ」de描かなくてもいいキャリア(下)

今回も、映画「エリン・ブロコビッチ」を題材にして、キャリアをデザインするときに必ずしもゴール(成果)が明確じゃなくてもいいんじゃない?というおしゃべりをしたいと思います。

→前回13話「エリン・ブロコビッチ」de描かなくてもいいキャリア(上)はコチラ

 

「エリン・ブロコビッチ」は2000年に製作された実話に基づく社会派サクセス・ストーリーのアメリカ映画です。主演のジュリア・ロバーツの演技は世界中で絶賛され、アカデミー主演女優賞をはじめ数多くの賞を受賞した作品です。

ストーリー(ソニーピクチャーズ公式サイトより )

映画「エリン・ブロコビッチ」https://www.sonypictures.jp/he/36015

胸元も露に超ミニのスカートでキメた元ミス・ウィチタ。離婚歴2度。3人の子持ち。無学、無職。貯金残高16ドル。
そんな彼女が1枚の書類から大企業の環境汚染を暴き、634の住人の署名を集め、史上最高の和解金350億円を勝ち取り、
アメリカ中にスカッとした感動をもたらした。これは実話に基づいた痛快なサクセス・ストーリー。


 

やりたいこととかキャリア・デザインとか、そんなことを言っている余裕なんてかけらもない3人の子どもを育てるシングルマザーのエリンは、押しかけて働き始めた法律事務所で山積みされた不動産関係の書類を整理するように言われます。市井の庶民からのお金にならない相談の類で、事務所的には優先順位が低く、誰もやりたがらない仕事をあてがわれただけでした。その中からエリンが目をとめて調べ始めた案件が、いずれ公私ともに多くの人を巻き込ん、、、という展開。法律や不動産についての経験や知識がまったくなかったエリンが「このシゴト」にどんな姿勢で向き合ったのかを想像してみたいと思います。

エリンが意識していたかどうかはわかりませんが、彼女にとって「シゴト」は「仕事」ではなくて「為事(しごと)」だったのだと思います。

森鴎外(小説家)は『中央公論』:大正5年(1916)1月に発表した「高瀬舟」という短編小説の中で仕事のことを「為事」という字で表現しています。「どこかで為事に取り附きたいと思つて、為事を尋ねて歩きまして、それが見附かり次第、骨を惜まずに働きました。」

働くことは、仕える事ではなくて為す事、誰かの為にする事だという姿勢がエリンにはあったのかもしれません。もちろん子どもたちを育てる為、生活の為に働くわけですが、それだけなら余計なことはせずに指示されたとおりに書類を整理するだけの働き方(ボスに仕える事)だったはずです。ところが、エリンにとって働くことはそれだけではなくて、自分が仕えるその先に為す事がある、その先にいる誰かの為になる、だからこのシゴトがここにある、そんな感覚を持って働いていたような気がします。

キャリア相談の場面で「やりたいことがない」というようなフレーズを耳にすることは少なくありません。これは就活中の学生から働きながら職業に違和感を持っている現役世代、最近では定年退職後の人生をどう過ごすかを考えようとするシニア世代まで年齢を問わず口にのぼる表現です。このことについて、企業における人材開発・組織開発について研究している立教大学の中原淳先生は、そもそもの問いが曖昧だから「やりたいことがない」という答えになってしまっているのだろうと指摘しています。

問い:あなたのやりたいことは何?

答え:(やりたいことが)みつからない、わからない、特にない

そして、問いをもう少し具体的にしてみてはどうかと提案しています。

問い:自分の仕事を通して、誰をハッピーにしたい?

 自分の仕事を通して、どんな社会課題にかかわっていきたい?

このちょっとだけ具体的な問いは、これから仕事を探そうとするときにも、いま目の前にある仕事にどんな姿勢で取り組んだらいいのかについて考えようとするときも、その先にある「為事(しごと)」をイメージすることに大いに刺激になりますよね。エリンはキャリアをデザインして職業を選んだわけでもないし、ゴールを定めてコツコツと準備をしてきたわけでもありません。けれど、働くことについて具体的な自分自身への問いを持っていたのだと思います。

そんなエリンが大きな「為事(しごと)」をやってのけるわけですが、当然ながらその陰にはとりまく人たちとの関係、理解や支え、犠牲や挫折があることも想像できます。仕事上のパートナーはもちろんですが、大きな支えになったのは彼女が為事に時間を割いている間の子どもたちの世話をしてくれた隣家へ引っ越してきたばかりのハーレーダビッドソン(大型バイク)を乗り回すジョージです。ベビーシッターをかってでて婚約指輪まで用意していた彼ですが、ある日エリンに「君の中に俺はいるのか?俺はどうしたらいいんだ?」と心の内を明かします。「ここに居てほしい」とエリンは言うのですが、彼は出て行ってしまいます。また、長男も「たくさんの不幸な人たちのためにママは戦っている」と理解を示しますが、父親代わりのジョージがいたとはいえ、多感な成長期の少年にとって埋められない何かを抱えることになっていてもおかしくはないだろうという想像も難しくありません。

前回(13話)の冒頭で、甲子園出場というゴールが突然に、理不尽に目の前から消えてしまった球児たちに私たち「まんなか世代」の大人ができることは何かという問いを立てました。そして、代替の機会を用意して取り繕うのではなく、「目指すゴールは仮に設置されたもので、動いたり消えたりするかもしれない」ことを前提としたパラダイムを用意しなければならないのではないかとおしゃべりしました。そのためには、「やりたい」とか「なりたい」という成果をゴールとして描いたキャリアではなく、その先にある「為事(しごと)」をイメージして、その過程で関わる人たちとの関係性も豊かに育てる働き方を模索し、実践していくことが必用な気がします。実在のエリンの「その後」を知るにつけ、映画のストーリーほど単純ではないことにも想像力を働かせながら。

 


〜執筆者プロフィール〜
中村 容(なかむら よう)
学生の就職支援に携わったのをきっかけに、働き方や暮らし方の選択をとおして人が成長していくプロセスに関わるキャリア支援の魅力にはまる。現役世代のキャリアシフトを支援する「まちのキャリアラボ」や小さな映画館シネコヤで映画作品から暮らし方や生き方を考えるイベント「おしゃべり考房」など、地域をフィールドにキャリア支援に取り組んでいる。地域活動での肩書きは「まちのキャリアデザインマスター」。本業は大学職員。

 

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