『ぐるぐるゆるっと子育て@高齢出産』vol.10 ようやくの臨月に

こんにちは!かもみぃみるです。
連載開始から1年4か月め。赤ちゃんはまだお腹の中です。
→前号のvol.9はこちら

2006年のお正月。私は妊娠8か月め。がん闘病中の父を見舞うために向かった京都、滋賀は雪がちらつく寒い冬でした。お正月に一時帰宅していた父に会うことができ、次はいよいよ出産です。
抗がん剤投与のために入院している父とはその後電話で話すこともなく。時折母からの電話で順調だよと聞きながら、少しずつ出産に向けての期待と不安が大きくなっていきました。
検診は順調そのもの。2月の終わりには子宮口も開きはじめて、主治医の先生は、
「満点だね。このまま自然なお産でいけますよ!」
とおっしゃってくださいました。

予定日は3月12日。いよいよ臨月に。
お腹はもうはちきれんばかり。エコーではしっかり骨太で、大きな赤ちゃんが生まれてくるよと言われていました。

3月に入って最初の週末。いつもは私を気遣って仕事以外の外出を控えていた相棒が、珍しく出かけていきました。赤ちゃんが出てきたらしばらくは大人の時間はもてませんから。

そんな特別な夜。突然妹から電話がかかってきて「お父さんが危篤なんよ。今ICU(集中治療室)にいはる」と。
順調に治療が続いていると聞いていたので寝耳に水。出産予定日を一週間後に控えて実家にかけつけるわけにもいかず。
母に聞いても妹に聞いても、父の詳しい容態はわかりません。思い余って直接病院に電話したものの、個人情報保護ということで家族でも電話では病状を伝えられないとのこと。
相棒の帰りを待っていましたが、その日は久しぶりに会えた仲間たちだったので、夜中まで話が尽きることなく、めったに会えない人もいるから始発で帰ってくるというのです。
私は不安で眠れないままに朝を迎え、相棒が帰宅したら号泣してしまいました。臨月の妊婦は精神的にも不安定で、落ち着きたくても落ち着けない、しんどい日々が続きました。

後日話を聞くと、抗がん剤投与のための管を入れる穴が鎖骨の下に空いていて、そこから細菌感染を起こし、その影響で心房細動を起こし、心停止に陥ったのです。
なんとか蘇生して一旦病室に戻ったものの、抗がん治療で弱っていた父の身体は衰弱し、回復の見込みがたたないまま。起き上がることも、意識すらもあやしい状態になっていました。
すぐにでも病院に駆けつけて父に会いたいと思いましたが、予定日間近に新幹線で実家に行くのはリスクが伴います。今の自分が守るべきはお腹の赤ちゃんの命と自分に言い聞かせて踏みとどまりました。
父の病状は一進一退。予定日を過ぎてもなかなか赤ちゃんは出てきそうもありません。
予定日の12日を過ぎたところで検診に行き、2週間後に計画出産するよう予約をすることになりました。一日も早く出産して父に会いに行きたい。

3月17日は父の71歳の誕生日。一般病棟、ひとり部屋にいたのですが、細菌があろうことか脊髄に入ってしまい、全身をのこぎりで切られるような痛みが走ると父が訴えて、この頃はかなり強い鎮痛剤をつかっていたようです。

3月20日の夜。翌日に計画出産のための入院を控えていた私は、父にメッセージを伝えたくて、ネットショップを利用して誕生日祝いと激励のための花を手配しました。「無事に産んでゴールデンウィークには連れて会いにいくからお父さんもがんばってね」とメッセージを添えて。

翌朝、昼過ぎの入院に向けての準備を終えたころに電話がなりました。
昨夜注文した花屋さんからでした。
「病院にお届け先確認の電話をしたところ、ご指定のお部屋には該当の方がいらっしゃらないとのことです。お部屋番号にお間違いはありませんか?」と。
部屋番号は間違えていません。背中を冷たいものが走りました。ほぼ同時に私は父の死を直感したのです。

混乱する私。落ち着けようとする相棒。
どれくらいの時間が過ぎたでしょう。しばらくしてまた電話が鳴りました。
私は受話器に飛びつきました。母からでした。
「これから産院に向かうんよね。がんばってきてね。旦那さまにかわってくれる?」と。
代わった相棒は「はい」「はい」とうなずくばかりで電話を切りました。

相棒は黙っています。
私から訊ねました。「おかあさん、なんて?」と。

少しの間をおいて、相棒は静かに話し始めました。
「おかあさんからは、本人には言わないで。これから赤ちゃんを産みに行く子に負担をかけたくないとおっしゃっていたけれど。おとうさんが昨夜亡くなられたよ」と。

ああ、やっぱり。
先ほどの直感は当たっていました。
亡くなった時間を聞くと昨夜の22時過ぎ。ちょうど私がPCに向かって父に贈る花の注文をしていた時でした。
テレビにはワールドベースボールクラシックの第一回大会の決勝の中継が映っていて。優勝を決めた瞬間、日本チームの中にはイチロー選手や松坂大輔投手の喜々とした様子が流れていました。
野球をこよなく愛した父。もしこの試合を見ていたら、どんなに喜んだだろうと思うと、余計に悲しくて涙がとまりませんでした。だけど泣いてばかりではいられません。
父を思いながら、相棒に付き添われて産院に向かいました。

お正月。帰り際に実家最寄りの駅まで車で送ってくれた父。
「この次会ったら抱っこしてやってね」と声をかけ、恥ずかしがる父にお腹を撫でてもらいました。
あれが今生の別れになるとは思いもしませんでした。

 


<かもみぃみるのプロフィール>
1963年生まれ。41歳で結婚、42歳で出産した一人息子は現在中3。産後は体調を崩すなか、孤育てや介護、看取りも経験しました。音楽と踊りが大好きです。結婚までの、そして結婚後の様々な職歴と学びを活かして、数年前から女性の心身のウェルネスをサポートする講座やレッスンを行っています。「その人らしさを大切に。ゆるめること、ながめること、味わうことでよりよく生きる」を目指しています。

 

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