教えて!『無形資産』の築きかた VOL.2(中)

『公務員』という生き方をしながら、『無形資産』を蓄えた、元上尾市役所職員で市民参加専門のまちづくり会社の代表の橘たかさんにその秘訣をお聞きします。「知りたい!『無形資産』の築きかた」VOL2(上)の続きです。

 

-公務員になった理由を教えてください。

大学時代、都市計画の研究室でした。就職氷河期だったこともあり、いろんな人に就職のことを聞きました。まちづくりをやりたいなら、就職先はコンサルタントか、ゼネコンか、公務員という選択肢になります。コンサルタントやゼネコンだと行政から受注した仕事だけど、基礎自治体の公務員であれば、自分で考えて作り出せるとのことだったので面白そうだと思いました。

 

-公務員になられていかがでしたか。

すっごくおもしろかったですよ。最初の仕事は、技術部署で初めての市民参加の都市計画マスタープランづくりだったんです。全部初めてのことなので、これがルールという決まりがまだ無く、いろんなことをやらせてもらいました。

「市長へのはがき」担当では、市民からのご意見もいろいろでした。ご意見に対応するなかで、市役所の仕組みを知りました。意見へ回答の作成は担当課に提案をすることもできて 、想像していた以上に自由に仕事ができました。市役所の仕事は、ルールを知ってルールに当てはめるパズル的な要素もすごく大きいと思うんです。市民の方がこういう思いでお話されているはずなのに、回答では思いとはズレたアウトプットをしてしまうことで、ディスコミュニテーションが起きることもありました。その結果、実現できなくなってしまうこともあったんだろうなとも思います。

 

-都市計画のマスタープランづくりってなんですか。

当時、都市計画分野の計画を作るときには、専門家以外はほんの一握りの推薦された人しか参画していませんでした。 都市計画マスタープランって、直近の課題ではなく20年先の街の将来像を考えます。それまでの都市計画って、今すぐ解決したい課題を持つ市民運動や公的事業で私権を制限してしまう土地所有者など、対立関係になりやすい市民としか直接対話をしてきませんでした。つまり当時、計画づくりに市民に参加していただくのはすごくチャンジイングなことだったんです。最初は、対立関係を持ちこんで参加される方もいましたが、自分たちも一緒にできることも話しあえるような市民の方とも出会いました。

それがご縁で、都市計画なんだけど、都市計画でなく、市民運動ようだけど、市民運動でない、公共への関わり方を担う市民によるまちづくりの会のお手伝いをするようになりました。就職相談の時に言われたような、誰かが作るもので、それに参加するだけの「公共」ではなく、いろんな方が参画する「公共」に気づきました。

 

-その後、市民参画のNPO推進計画を作られましたよね。

次の部署では、市民参加のまちづくNPO推進計画の担当になりました。NPOの中間支援組織であるさいたまNPOセンターと一緒に、市民の意識調査やNPO推進計画づくりをしました。ボランタリーな人や意識の高い方だけでなく、それまで興味のない人もうっかり答えたくなっちゃうような意識調査をいろんな方に参画してもらいながら作りました。

今までの公共って「正解」があって、その正解に向かって直線に進んでいるイメージでした。そんな中、効率を考えるとマイナスかもしれません。でも、みんなで納得しながら進むことで、みんながいいと思える答えがでてくる、そんな公共を担うNPOや市民も増え始めていました。その一方で、すでに対立関係ができてしまっていて話し合うことさえも難しく、「納得しながら」どころか「正解」があったとしても動けなくなってしまう行政と市民との関係もあって。当時は、そういった関係をほぐすためにも、市民参加だったりその手法のワークショップだったりが増えてきた時期ではありました。発注する行政はまだ経験が浅く、それを請負うコンサルタントは、市民の中に入って行政との翻訳をするのは手間がかかりすぎる。そんな、なかなか難しい状況だということがだんだん見えてきました。それを仕事にできないかなって思い始めました。

 

-それは、公務員の立場ではできないと思われたのですか。

公務員は異動がありますよね。公務員という立場のままで、どこでも出来たのかもしれませんが、この仕事に特化していろいろやってみたくなりました。そもそも公務員の職務の範囲を大きく逸脱するようになってしまうと、その場は良くても将来的には市民との関係にも悪影響になっちゃいますし。 まちの人の活動と公共的なものを実際に動かすことができる公務員を繋ぐ人になりたいと思ったんです。

 

-公務員を辞める時の周囲の反応はいかがですか。

10年くらい公務員をして、32歳の時に辞めました。辞めるまで3、4年は考えていました。家族はどこかで辞めると思っていたみたいです。職場や友人からは「辞めるなよ」とよく言われていました。「公務員はつぶしがきかない、もう少し我慢するとやりたいことができるから考え直せ」と心配されました。当時、シェアハウスで一緒に住んでいた友人の「失敗しても、選ばなければ仕事はいくらでもある。今の世の中なら生きていける。」という一言がなければ、辞めていない可能性は高いですね。

 

-そうだったんですね。

やりたいことは見えていたけれど、独立した時に自分の軸をどこにするのかはずっと悩んでいました。今は「『まちづくりコンサルタント』ではなくて、『市民参加のまちづくりのコンサルタント』なので市民の参加に関わらない仕事はしません」と言っています。公共の仕事はしたいけれど、市民の参加を意識しない請負仕事はきっと上手にできないと思っていますから。

 

-「市長へのはがき」担当の時に職場内でのネットワークが広がったそうですね。

最初のうちは担当部署に確認して、型通りの回答をしていました。そのうち、市民の方が求めていることはここかな、こう答えられるんじゃないかなと、担当部署に少し踏み混んで聞くようにしました。めんどくさい担当者と思われながらも、多くの部署の職員と話をするようになりました。そうやって職場の中で対話をすることで、いろんな勉強会や人を紹介してもらって人脈が広がりました。

 

下編につづく


〜執筆者プロフィール〜
上木 宇宙(うえき そら)
まんなか世代の公務員。
元気な100歳、『百寿者』を目指しています。
健康第一、85歳までは働き続けたい。
定年後、私ができる仕事はなんだろう?
人生100年時代、貯蓄などの有形資産はもちろん、お金に換算できない、友人関係や知識、健康などの『無形資産』を蓄えていきたい。
『公務員』という生き方をしながら、『無形資産』を蓄えている方にその秘訣をお聞きします。

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