ぐるぐるゆるっと子育て@高齢出産 vol.8

41才の妊婦さん②

 

こんにちは!かもみぃみるです。
前回に続いて産院探しについて書いていきます。
前回vol.7はこちら

今から15年前のお話し。相棒と同居して最初の課題は産院探しでした。
「お産は病気ではない」と思っていたので助産院を希望していたので調べてみると、高齢出産のうえにアレルギー体質でぜんそくのある私には難しいということがわかりました。

 

はじめに隣の市にある名高い産婦人科ふたつを回りました。ひとつめでは高リスクであることを理由に門前払い。ふたつめでは染色体異常の可能性が高いという現実に動揺したことと「出生前診断を受けてあたりまえ」というスタンスを受け入れることができず。
慎重に、安全第一に。高リスクでありつつもなるべく自然に。
出生前診断はしなくても受け入れてくれる、なるべく自宅に近い病院を探しました。

 

相棒からは総合病院を勧められたのですが、最寄りの大学病院や総合病院には呼吸器の専門医がいないこと、近々家族を病院やホスピスで看取ったばかりで足が向きにくいこと、通院時に他の病気に感染するリスク、数に埋もれてベルトコンベア式に診察されるかもしれないという不安があることなどを話し、街中の病院を受診することにしました。街中の病院の方でもしものことがあった時には総合病院のNICU(新生児集中治療室)と連携がとれるようになっていることも確認しました。

受け入れてもらえるかどうか、まず院長先生の診察を受けることに。
この病院には呼吸器科や周産期医療専門のドクターがおられ、そちらの先生方と相談していただいた結果、受け入れていただけることになりました。

エコーを受けているとき、院長先生が「おっ!」と。思わず声が出たという感じでした。
「聞きたいかな?言っちゃっていいかな?」と、お茶目な表情と雰囲気にのまれて「はい」と応えると「ついてるよ!」と。
え?なにが?と思った次の瞬間に「ああー。男の子?」と聞き返しました。まさかこんなに早くわかるなんて。わかってうれしい気持ちと、楽しみをとっておけなくなったさみしさも感じましたが、あの時の院長先生の、眼鏡の奥の目を、糸のように細くした満面の笑みは今でも忘れられません。

 

染色体異常の確率の高さと高齢出産という現実は何も変わらないし、不安がなくなるわけではないけれど、起きていないことを恐れて過ごすよりも、わが手に抱ける日を楽しみに、一日一日お腹の中で育める幸せを大事にしようと思えるようになっていました。

同居開始からひと月。妊娠4か月、9月の終わりにようやく産院が決まりました。

10月には相棒の実家で村親戚(ご近所で助け合う親しいお家)へのお披露目の会。
11月には相棒の母校(都内)でご友人を招いての伴侶披露パーティ。
順調に妊婦な日々は過ぎていきました。

そうそう。なぜ高リスク出産の私が実家ではなく、見知らぬ土地で相棒とふたりで出産することになったのか。
それは私の父ががん闘病中だったためでした。

がんが見つかったとき、私は実家で両親と同居していました。
東京での一人暮らしを引き払い、末期がんで闘病中だった祖母を看取って間もない頃です。
その時、母が言いました。
「お父さんにもしものことがあったらどうしたらええの!」と。
切羽詰まった母の様子と声に、私は不安と恐怖を覚えました。
「このままここにいたら、母に一生縛られて自分の人生を生きられない」と。

そう思う背景には、我が家の家族構成と歴史がありました。
父と母が結婚すると同時に、父の職場の上司だった人のところに養子縁組をしたのです。
祖父母には子供がなく、盲腸をこじらせてあやうく命を落としそうになった父を、上司であった祖父が献身的に看病してくれて、その後下宿するようになり、養子になるよう話が進んだのだと言います。

祖父母と両親。なさぬ仲の大人4人をつなぐ要として私はこの世に生を受けました。
そのことで愛情も幸せもたくさんもらいました。一方で、4人それぞれの本音と建て前を目の当たりにして、思うように素直につながれない居心地の悪さを感じながら、懸命にみんなが笑顔で仲良くなれるにはどうしたらよいかと考え、役割を果たそうと頑張ってきました。

母は嫁としての苦労をしながらも、善き妻、善き嫁、善き母として懸命に生きてきました。私はものごころついたときにはもう、その影にある思い。怒りや悲しみややりきれなさなど、いつもそばにいて話を聞き、支える役割をしていました。

こういった環境の中で、私は自分自身の気持ちではなく、状況や相手の望みを察知して応えることで自分の居場所を確保でき、愛情をもらえる最善の方法だと信じてしがみついていました。そして母は、私を自分の身の一部か分身のように認識し、強い依存関係に陥っていたのです。
成長とともに自我が育つ過程で、私は母の価値観や思いと自分の本心の乖離に苦しみ、精神的葛藤や情緒不安を感じることが多いまま40才になっていました。

この時を境に実家を飛び出し、ほどなくして妹の紹介で相棒と出会うことになったのでした。
(次号へつづく)

 


<かもみぃみるのプロフィール>
1963年生まれ。41歳で結婚、42歳で出産した一人息子は現在中3。産後は体調を崩すなか、孤育てや介護、看取りも経験しました。音楽と踊りが大好きです。結婚までの、そして結婚後の様々な職歴と学びを活かして、数年前から女性の心身のウェルネスをサポートする講座やレッスンを行っています。「その人らしさを大切に。ゆるめること、ながめること、味わうことでよりよく生きる」を目指しています。

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