ヒトリおしゃべり考房 Cinéma de carrière【第9話】

「僕はラジオ」de あなたは何をする?

「コーチ」という言葉を耳にしたとき、皆さんは何をイメージしますか?
スポーツの指導者、革製品の高級ブランド、四国の高知県、いろいろ思い浮かぶと思います。キャリア・コンサルタントや企業等の人事担当者、スポーツに限らず何か他者に教える仕事をしている皆さんなら、コーチにingをつけたコーチングという言葉をすぐに連想したかもしれません。コーチングとは、一般的には対話によって相手の自己実現や目標達成を図る技術であると定義されています。語源は英語のcoach(馬車)で、「人を目的地まで送り届ける」という目的から、コーチングは「その人の目標やゴールに向けて支援する」ということのようです。

キャリア・コンサルタントとして仕事をする人たちの多くは、このコーチングの技術を身につけて主にビジネスの世界での人材開発、キャリア支援に活用しています。この場合、前提にあるのはコーチングの対象者には具体的な目標や実現したいゴールがあるということになります。その達成のためにコーチングという手法を用いて「目的地まで送り届ける」のがコーチの役割になるので、具体的な目標や実現したいゴールがはっきりしない人にとっては、コーチは不要ということになるでしょうか?そんなことを言うと熱心にコーチングを学び実践している方からは、「本人が気づいていなくても、じっくりと対話を重ねていけば何かしら具体的な目標や実現したいゴールがみつかるはず」と説かれてしまうかもしれません。もともとコーチングがなんとなく肌に合わなかった私が最近感じるのは、その理論は正解がある世界では正しかったのだろうけれど、これからどうなるかわからない正解がない世界では、人が成長する時にコーチングやコーチとは違う手法、存在が求められるのではないかということです。

ところで、いろいろなことが起こりすぎて、世間の関心を大いに集めた出来事があっという間に「そんなこともあったね」とさえ思い出されなくなってしまうこと、いっぱいありますよね。ラグビー・ワールドカップでの日本代表の活躍は記憶に新しいけれど、某私立大学アメフト部の悪質なタックルで大騒ぎしたのはいつ頃でしたっけ?あのラフプレーを監督やコーチが指示、容認したのではないかといわれた出来事でしたよね。簡単に忘れられてはいけないはずのそんな出来事のことも頭の隅に置きつつ、今回のCinéma de carrièreでは、映画「僕はラジオ」を題材に、正解がない時代に人の成長に寄り添うことについておしゃべりしたいと思います。

「僕はラジオ」は2003年に公開されたハリウッド映画で、アメリカのサウスカロライナ州にある小さな町アンダーソンのハナハイスクールのアメフト部のコーチと知的障害をもつ黒人青年の交流を描いた実話をもとにして作られた作品です。

ストーリー(映画情報サイト「映画の時間」作品情報より )
映画「僕はラジオ」https://movie.jorudan.co.jp/cinema/05742/
1976年、米南部の平和な町アンダーソン。名門ハナ高校のアメフト部コーチ、ハロルド・ジョーンズは、練習場の
周りをうろつく青年のことが気にかかっていた。知的障害を持ちいつも一人ぼっちの青年は、ラジオから流れる音楽
だけが友達だった。ある日、練習場の外に出たボールを返さなかったことを理由に、チームの生徒が彼を痛めつけ
る。ジョーンズは生徒たちを厳しく叱り、青年に一緒に練習に参加しないかと声を掛ける。“ラジオ”というニックネー
ムをもらった青年は、アメフト部の臨時コーチとして練習を手伝い始めるが…。

コーチ・ジョーンズはハイスクールの教師で運動部主任も務めるアメリカンフットボールのコーチ。スポーツの指導者として選手一人ひとりの適性を見極め、力を引き出し、ハートに語りかけてチームとしてまとめ上げていく一流のコーチ、コーチングのプロです。スポーツですから、もちろん目標は勝利。そんなコーチ・ジョーンズが、勝利という目標には関係しないだろう知的障害がある青年をチームに招き入れます。この謎が謎のまま話は進んでいきます。「なぜ?」とチームの選手や保護者、学校関係者が戸惑い、快く思わない人たちも出てきます。
また、これまでアメフト部のコーチとして熱心に取り組んできたコーチ・ジョーンズは家族との時間も犠牲にしてきています。そんな生活にさらに“ラジオ”といっしょに過ごす時間が増えていき、家族との関係もぎくしゃくするのですが、物語の中でコーチ・ジョーンズは関係がぎくしゃくしていた娘に「なぜ?」について語ります。ここでは謎を明かすことはしませんが、「なぜ?」の答えは過去に体験したある出来事について「何もしなかった」ことの悔いだと話します。「何もできなかった」ではなくて「何もしなかった」だと。ずっと抱え込んでいた「しなかった」後悔がコーチ・ジョーンズを“ラジオ”への関わりに突き動かしていることが明かされて物語が展開していきます。

アメフト部のコーチとしての役割は「勝利のために何ができるか」です。目標は勝利。対戦相手を分析し、選手の適性を最大限に生かしてチームを機能させるための最善の作戦=正解を見つけ出すこと。“ラジオ”との関りは目標があるわけでもなく、どうなるかわかりません。“ラジオ”の存在を危惧し追い出すことを主張する校長とのシーンでこんな会話があります。
校長:1000人以上の生徒を預かる以上、今後(彼が)どうなるか(問題を起こさないか)知りたいの
コーチ:それはわからない(正解などない)
校長:わからないならダメね(彼を学校にはおいておけない)
このシーンは「できる」「できない」という論点で話す校長と「する」「しない」という論点で話すジョーンズという構図なのだと思います。“ラジオ”の母親に「なぜこんなことまでしてくれるの?」と問われたときにもジョーンズは「正しいことだから」とだけ答えます。できるかできないかではなくて「正しいことだから私はする」という答えです。これは、自分が「どう在りたいか」と自分自身に向き合わなければ出てこない答えのような気がします。セリフだけ抜き出してしまうと綺麗ごと過ぎる正義感のストーリーみたいに感じられてしまうかもしれませんが、この作品のテーマは在りかたへの問いではないでしょうか。自分の身の回り、目の前にある問題に対して「あなたは何もしないの?」と。

ほとんど会話もしなかった“ラジオ”は、チームに、学校に、地域に受け入れられて役割を得ていくことで活き活きと成長していきます。彼には特段の目標も実現したいゴールがあったわけではありません。ですから、直接的なコーチングという手法も優秀なコーチも必要ありませんでした。必要だったのは、仲間として招き入れて居場所や役割を寄り添いながらつくってくれる人の存在で、大事なのは「寄り添う人」の質だったのだと思います。コーチ・ジョーンズは努力して身につけた知識やスキルを発揮することで得た信頼や立場、そして「する」意志を持っていたということです。そんなジョーンズが寄り添ったからこその“ラジオ”の成長だと思います。

映画「僕はラジオ」は実話をもとにしたハート・ウォーミングなヒューマン・ドラマですが、これからの正解がない時代を私たちが生きていく時に向き合う「あなたは何もしないの?」という問いに対する答えについてのヒントになる作品だと思います。特にまんなか世代の私たち、これまでの人生で築いてきた「私らしさ」を使って何をしましょうか?誰に寄り添いましょうか?できるかできないかを考えていても正解は無いようです。80歳くらいになった時に「何もしなった」と後悔しないようにしたいですね。もし、この作品をみる機会があったら、エンディングに映し出される5分ほどの映像を見逃さないように。(中村 容)