まろんと行く散歩道 vol.3

まんなか世代になって、犬を飼った。

ずっと以前から子どもたちにせがまれていたが、転勤族の社宅住まいでは無理。
でも、空の巣症候群やら更年期やらに襲われて、犬を飼う事になった。
その話はまた別の機会に・・・。
愛犬まろんと一緒に歩むコラムに、どうぞお付き合いください。

~区切る~

世の中が大変なことになっている。
そのために卒業式そのものが中止になったり、見守り続けてきた保護者が同席できなかったりして、自分の気持ちに区切りをつけられずにいる寂しい声があちこちで聞こえる。
そうだよね。
大切な友人への思いや、お世話になった人への感謝をちゃんと伝えたかったよね。

私は転勤族の子であり妻になった。
辞令が出たら、有無を言わさず、区切りなんてつける間もなく新しい土地に移動してきた。
次の場所にどんな人がいるのか、どんなことが待っているのかなんて何も知らず、「社宅」に住む。
長女が小学2年生の時のこと。
転校が決まって、お友だちが連日お別れ会を開いてくれた。
長女は毎日「お別れの品」をもらって帰って来た。レターセット、写真立て、ペン・・・
「これは〇〇ちゃんからもらった」って大喜びで私に見せてくれた。
ところが転校の前日、泣きながら帰って来た。
訳を聞くと、一番仲良しだった友人たちと最後のお別れ会をして「元気でね」って手を振った後、その子たちが「じゃ、明日も3時に遊ぼうね~♪」と翌日の遊びの予定を立てていたから。自分がいない未来の話しをしていて、急に寂しさが現実になったから。
「転校したくない」って泣きじゃくる長女に、私は年賀状を見せた。
「ほら、ママには全国から年賀状が来るんだよ」
それを見た長女は「すご~い!私もいろんなところから年賀状が来るかな」って、自分が意図しない転校をちょっと楽しみにしてくれた。

人生長く生きていると、区切りをつけられないまま来てしまったこともいくつかある。
そうか。私たちは、区切りをつけていない時の心の曖昧さを知っているから、人生の後半に入ると「片付け」たくなるのだろう。

いくつかの曖昧さを後悔している私にも、ひとつできたこともある。
父が亡くなる少し前に、父の手を握って感謝の思いを言葉で伝えることができた。
これは、私にとって相当ハードルが高かった。
誰かに見られたら恥ずかしいので、寝ている父にこっそり伝えた。
肝心なところで、自分なりの区切りをつけられたことを、自分で褒めてあげたい。

あ~、まんなか世代になっても、まだこんな感じ。

区切りをつけていないことを思い出し、まだ間に合う事はやってみよう。
感謝、謝罪、希望を伝える。
できれば悪態はつきたくないかな。
人生100年時代とは言っても、まんなか世代はその姿が最後ってこともあるからね。
あれ、私「いい人」として誰かの記憶に残りたいと思ってるんだって、今気づいた。(細田恭子)