『ぐるぐるゆるっと子育て@高齢出産』vol.4

人前結婚式と披露パーティー

こんにちは!かもみぃみるです。
今日は節分。明日は立春。もうすぐ春がやってきます。
令和2年初めて。今回で6回めの掲載となります。今年もゆるゆるですが大切に書いていきますのでどうぞよろしくおつきあいください。

さてさて前回は、出会いから入籍したと思ったらあっという間に妊娠判明。
前回の『ぐるぐるゆるっと子育て@高齢出産』vol.3はこちら。

二人の年齢を考えても式や披露はこぢんまりと身内だけでということと、キリスト教、仏教、神道のなかからどれかを選べるほどの信心がなかったため、両親と近しい親類に立ち会っていただいての人前式と披露パーティーを行うことにしました。

お世話になったフレンチレストランは、京都の他東京など複数の店舗があって、ウェディングプランナーの方が親切かつ丁寧にアテンドしてくださいました。私の元職場だった福祉ホームが隣接しており、ホームの朝食と夕食はこのレストランからデリバリーされていたので、日ごろからシェフをはじめホールのスタッフの方たちとも親しくさせていただいていました。

彼は埼玉在住。私は滋賀在住だったので、相談はもっぱら電話とメール。準備のほとんどは私の体調を気遣って彼が引き受けてくれました。
彼は多忙を極め、睡眠を削っての日々が続いていたので、遠く離れている分心配でしたし、私にはイベントプロデュースの経験があったので、ある程度はまとめてお願いした方がスタッフの方も動きやすく、プロの知恵やアドバイスを受けられるのになーと思っていました。
彼は、招待状、ウェルカムボード、当日に流すふたりの紹介動画、BGMの選曲と編集も自分でつくるというのです。費用の削減が一番の理由だと言っていましたが、私からみると自分で作る方が納得できるし、来てくださる方々への感謝もこめられると思ってのことだろうと感じたので結局彼が作ることになりました。
結果、どれをとっても私からみるとこだわりのある丁寧なつくりで驚いたし、作ってもらってよかったのですが。

進行、お料理も同様で、ひとつひとつを丁寧に、予算とやりたいこと、できることの確認と調整を繰り返していきました。当日が近くなり、ふたりで最終の事前打ち合わせに行きました。
パーティーの流れについて、まずは入場から。レストランなのでバージンロードはないのですが、もどきのものはお店の設えとして用意してくださるとのこと。お店の重厚な木製の扉が開くと、ふたりは結婚行進曲をバックに一歩一歩足をそろえながら会場正面中央の自分たちの席まで歩くものと思っていました。すると、
「え?そんな恥ずかしいことするんですか?教会で式をあげるわけではないのに」
と彼が驚いたように目を丸くして言うのです。
「え?じゃあどうするんですか?パーティーの最初に人前式を行うのながら、病気の父と連れ立ってというのは省略するとしても、ふたりでそんなふうに入場するのは当たり前のことだと思ってました」言いながら私の方は頭が真っ白に。
「そんな恥ずかしいことは絶対にできません!勘弁してください」
それまで見たことのない彼の強い感情と、少女のような憧れを口にしたことが恥ずかしくて、私は引き下がるしかありませんでした。

次に当日のふたりの服装です。
「ウェディングドレスを着てもいいですか?」
と私がいうと、
「え?あなたはウェディングドレスを着たいんですか???」
彼はお客様に平服でとご案内していたこともあり、私たちも普段のスーツに小ぎれいなワンピースかスーツあたりを想定していたのです。
私の方は40を過ぎてしまったけれど、せめてウェディングドレスは着たいなー。洋服屋の娘で、母の着せ替え人形のように育ち、私自身も着るものに興味や関心があったことと、いつか生まれてくる子供に、少しでも若くてきれいなお母さんの姿を残しておいて見せてやりたいと思っていました。
ドレスをレンタルする費用を確認すると、およそパーティー全体の予算の中では高すぎてバランスが悪いのです。
主役ではなく、感謝を込めて両親や親せきにご挨拶する場で、私たちが一番着飾っているのはおかしいし、衣装に費用をかけるくらいなら、来てくださる方へのおもてなしや、これからの二人の暮らしに生きるお金を使った方がよいという彼の考え方は間違っていないと思うものの、20代から数々の友人の結婚式や披露宴に出てきた私の本音といえば、お色直しは無いとしてもウェディングドレスだけはという思いをどうしても譲ることができませんでした。

打ち合わせ時間のなかで結論を出せず、持ち帰ることになりました。
そこからメールや電話のやりとりを何回か。
私だけでは説得する自信がなくて、電話口で大泣きしたこともありましたっけ。そのうち見かねた妹やウェディングプランナーさんの「花嫁さんのお衣装は、ご両親さまやお客様へのおもてなしとしてぜひお召しになることをおすすめします」との後押しで着ることができました。

初めての共同作業として、手作りの結婚式を準備する過程で、互いの考え方や性格、それまで歩んできた環境とさまざまな価値観の共通することと異なることが少しずつ浮き彫りになっていきました。
慎重かつ堅実な彼と、乗りと勢いかつ大雑把な私。
恋愛期間がほぼ無いなか、ふたりのこれまでの人生や、それまでに培った価値観のすり合わせの大切さと難しさをこの時思い知ったように振り返ります。
その後、新しい暮らしを作っていくうえで、この時感じたふたりの違いが大小さまざまな問題を巻き起こすことを知る由もない私は、お腹に芽生えた小さな命のぬくもりと新しい人生への希望、そして自分の人生に初めて訪れた突然の恋という魔法の力でぐいーんと乗り切りました。

7月後半の暑い日。
私たちは両家と親戚に見守られ、無事に人前式と披露パーティーをすることができました。入場の時、相棒は胸に大きなカメラを提げていました。当日のカメラマンも自分でと言いながら、精いっぱいの照れ隠しだったのだと思います。この時は欠けることなく揃っていた両家や親戚でしたが、あれから10数年の間に、私の父、夫の母、夫の父。それぞれの伯父や叔母も何人かを続けて見送ることになりました。この日が一堂に会する最初で最後の日と期せずしてなり、今も万感の思いで振り返ります。
また、式のあとには彼とふたり、隣の福祉ホームを訪れ、共に暮らした仲間たちにも祝福してもらうことができました。本当は彼らにもパーティーに臨席してもらいたかったのですが、レストランの方の「御親戚はもとより、招かれたお仲間たちの肩身が狭く、緊張されたり嫌な気持ちになられたりするかもしれないことは避けられた方がよいかと思います」という言葉にはっとして、このような形になりました。まわりへの配慮と自分の思い入れの調和が大切であることをこのとき肝に銘じました。

お腹に赤ちゃんがいることもあって新婚旅行は生まれてからと思っていたのですが、「その時にしか感じられないものがあり、後々のためにもぜひ一泊でもよいから旅行に行くといいよ」という知人からのアドバイスがあって、パーティーの翌日、お伊勢さんに一泊の新婚旅行に行き、相棒は東京へと帰って行きました。
相棒の夏休みに引っ越しを予定していたので、新生活のスタートはもう少しおあずけです。

 


<かもみぃみるのプロフィール>
1963年生まれ。41歳で結婚、42歳で出産した一人息子は現在中2。産後は体調を崩すなか、孤育てや介護、看取りも経験しました。音楽と踊りが大好きです。結婚までの、そして結婚後の様々な職歴と学びを活かして、数年前から女性の心身のウェルネスをサポートする講座やレッスンを行っています。「その人らしさを大切に。ゆるめること、ながめること、味わうことでよりよく生きる」を目指しています。

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