まんなか世代の公務員が探す『この先』のヒント Vol.6(上)

小学生の子を持つ共働きの親たちが交代で保育を始めたことが、わが子の通う学童保育の始まりと聞いています。同じような経緯で始まり、今では児童館やコミュニティ・レストラン、保育園、障がい児の相談支援など、地域で切れ目のない子育て支援事業を展開している「NPO法人カローレ」。その運営の中心を担ってきたのが、元鶴ヶ島市役所職員の浅見要さんです。私のライフワーク「公務員」×「学童」の先輩である浅見さんを訪ねて埼玉県鶴ヶ島市へ。

NPO法人カローレとは(カローレは「ぬくもり」を意味するイタリア語)
http://www.npo-calore.jp/

<浅見 要さんプロフィール>
NPO法人カローレ理事長。長男の学童保育入室とともに学童保育の役員として関わる。
NPO法人化を進め、初代理事長に就任、3年間務める。鶴ヶ島市役所退職後カローレの専従職員となり、
事業型NPO法人として小規模保育事業、学習支援事業、子ども食堂など幅広く子育て支援事業に取り組んでいる。

 

-浅見さんが学童保育に関わることになったきっかけを教えてください。

共働きだったので、長男が小学校に入学した時に今の学童保育にお世話になりました。当時の学童保育は子どもを安心して預けられるような運営状況ではありませんでした。そこで、保育園からの仲間とともに学童保育の運営に関わるようになりました。

-その当時、坂戸、鶴ヶ島水道企業団の職員だったのですよね。

そうです。大学を卒業してから27年間働いていました。水道料金の徴収、漏水修理、会計などいろいろな業務を経験しました。

-共働きをされていたとのことですが、どのような役割分担だったのでしょうか。

妻は都内の自治体職員でした。私の方が職場に近かったため、保育園、学童、スイミングや塾のお迎え、夕飯づくりを担当しました。 子どものお迎えをしてから職場に戻り、残業する日もありました。最近は働き方改革で定時退庁が推奨されていますが、当時の上司にはいい顔をされませんでした。なんで男のお前がやるんだと。

-その後、鶴ヶ島市役所でお仕事をされたと聞きましたが。

当時の市長から学童保育での活動経験を見込まれ、市民協働推進課という部署を新設した時に、課長補佐にと声をかけられました。ちょうど水道企業団で管理職試験に受かった50歳の時でした。それまで水道企業団でしか仕事をしていなかったので戸惑いはありました。翌年には市民協働のまちづくりと地域福祉を進めるため、鶴ヶ島市社会福祉協議会の事務局長になりました。

-社会福祉協議会でのお仕事はいかがでしたか。

今で言う「市民ファースト」の事業を現場でできましたし、それに応える職員がいたので仕事は面白かったです。社協についてよく分からなかったのですが、現会長が市役所のOBでとても志の高い方だったので、その方の支えで大変助かりました。3年で異動したのですが、ずっと社協で仕事をしたかったです。

-どちらに異動されたのですか。

市役所に戻り、市民協働推進課の主席主幹になりました。市民協働のまちづくりを進めるため、自治会やNPOなどの市民活動団体や企業などが参加する「地域支えあい協議会」を小学校区ごとに作りはじめました。地域のちょっとした困りごとを地域の助け合いで解決する「助け合い隊」の活動を始めました。今では地域の大人が子どもたちの宿題を放課後に見たり、遊びの場を提供している協議会もあります。のちに私が市民生活部の参事(部長級)として議会答弁をした時に、協議会メンバーが議場に応援に駆けつけてくださったこともありました。その時は周囲に冷やかされましたね。

下編に続く

 


上木宇宙〜執筆者プロフィール〜
上木 宇宙(うえき そら)
平日は、パッとしない公務員。土日は、「人生100年時代」の旅人。元気な100歳、『百寿者』を目指しています。まずは、健康第一。85歳までは、ほそぼそ働き続けたい。定年後、私ができる仕事は?人生100年時代、公務員の2大リスク「定年制」と「副業禁止」。その壁は壊さずに、なんとかよじ登ってみたい。登った先に、どんな景色が見えるのか?私の知らない景色を見ている、憧れの人生のセンパイたちを訪ねます。
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