ヒトリおしゃべり考房 Cinéma de carrière【第3話】

ヒトリおしゃべり考房 Cinéma de carrière【第3話】

「ハーツ・ビート・ラウド~たびだちのうた」de夢をもつことの意味

 キャリア・プランや将来のことを考えるときに、「夢」というキーワードがついてまわることが多くあります。「夢を持ってあきらめずに努力することの大切さ」は、特に子どもや若者に向けて大人たちからたくさん発せられます。「夢」を持つことは素敵なことだし、もちろん否定なんかする気はありません。みなさんの多くもそうだと思います。けれど、私はちょっと違和感も感じていました。それは、「夢を持つ」ことと「あきらめない姿勢」が常にセットにされてしまうことへの違和感です。
 その違和感を整理するために、今回のCinéma de carrièreでは、映画「ハーツ・ビート・ラウド」を題材に「夢持つこと」についておしゃべりしてみたいと思います。
 「ハーツ・ビート・ラウド」は2018年に製作されたアメリカ映画で、シングル・ファザーの父フランクと娘サムが主役です。フランクは、まさに私と同じまんなか世代。時代背景もリアルタイム、現代です。この映画は、父が娘に「夢」を実現させるために「あきらめずに努力することの大切さ」を伝える姿を描いている、というようなありがちな鬱陶しい(笑)作品ではありませんのでご安心ください。作品としての一番の魅力は、オリジナル楽曲のすばらしさかな。素敵な映画です。

ストーリー (映画「ハーツ・ビート・ラウド」オフィシャルサイトよりhttps://hblmovie.jp/) ニューヨーク、ブルックリンの海辺の小さな街、レッドフック。 レコードショップを営む元バンドマンの父と、将来の夢のためにLAの医大を目指す娘。 ふたりで作った曲を音楽ストリーミングサービスにアップしたことから、父の夢は膨らむが…やがて二人に訪れる、新たな一歩のための人生の決断。
ストーリー
(映画「ハーツ・ビート・ラウド」オフィシャルサイトよりhttps://hblmovie.jp/)
ニューヨーク、ブルックリンの海辺の小さな街、レッドフック。
レコードショップを営む元バンドマンの父と、将来の夢のためにLAの医大を目指す娘。
ふたりで作った曲を音楽ストリーミングサービスにアップしたことから、父の夢は膨らむが…やがて二人に訪れる、新たな一歩のための人生の決断。

 そんな映画をキャリアの視点で観てみたら、「夢」の持つ意味がシフトしてきているのかも・・・とあらためて感じました。私が子どものころから「夢を持つ」という時にイメージするのは「願いがかなった自分の姿」だったような気がします。サッカー選手になる。インカやマヤなど古代文明の発掘をする。記者になる。一生に1冊は本を出す・・・などなどが私の夢でした。みなさんも、せっかくの機会なので子どものころからの夢を掘り起こしてみてください(単純に楽しいです:笑)。
 自分が過去に持った「夢」を文字にしてみて気づいたのは、すべての「夢」が「自分がする」「自分がなる」で終わっていたということです。主人公の一人、父親のフランクでいうと、ミュージシャンになる、曲をヒットさせる、娘とバンドを組む・・・になります。もう一人の主人公、高校生の娘サムの「夢」も医者になる・・・だよな、と思ったのですが、あれっ、違うかもと考え直しました。もしかすると「医者になる」がゴールではなく「(医者になって)○○○○な社会をつくる」という「夢」なんじゃないかと。「医者になる」の先には「病気を治す」「命を救う」があって、その結果「○○○○な社会になる」のだから同じじゃないかと言われてしまえばそれまでですが、私が思いをめぐらしたのは「夢を持つ」時点での展望の違いのようなものです。
 その結果という展望は、ある程度、生きている世界が予想の範囲内で変化する時に成り立つフォア・キャスティング的な「夢」なのだと思います。おそらく、まんなか世代の私たちは、ある程度は予測できる安定した世界を生きてきていて、レールの先で「夢」が待っていたからフォア・キャスティングで「夢を持つ」ことが当たり前だったような気がします。言ってみれば、「夢を持つこと」≒「レールを選ぶこと」だったのではないかということです。選んだレールの上をいかに努力していくかがキャリア的な課題で、そのことが「夢を持つ」ことと「あきらめない姿勢」が常にセットにされてしまうことに関係していそうです。私がちょっと違和感を感じてきたのは、「夢を持つこと」≒「レールを選ぶこと」でなくなってきているにもかかわらず、未だに「夢を持つ」ことと「あきらめない姿勢」が常にセットにされて、大人から子どもや若者に語られているからなのかもしれません。

 いまは、予測不可能な時代といわれ、その特徴を表すVUCAという言葉もあります。VUCAとは「Volatility(変動制)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字をとった略称です。そんな「夢」が先で待っているレールなんて存在しない変化の時代を生きていくサムたちティーンエイジャーは、バック・キャスティング的な展望で「夢を持つ」ことが当たり前になっているのかもしれません。

 バック・キャスティング的に「持つ夢」の特徴は、「自分がする」「自分がなる」ではなくて、「(したり、なったりした後)○○○○が起こることを信じる」ことのような気がします。「意志をもって創り出す」と言い換えてもよいかもしれません。そう考えると「夢を持つ」ことの意味が変わってくるし、難易度も上がってきます。「自分がする」「自分がなる」を「夢」のGOALにすると、結果が伴わない場合は「夢をあきらめた」ということになってしまいますが、努力してチャレンジした結果「○○にはなれなかった」としても「○○○○な社会をつくる」をGOALとして持っていれば、次の「夢」を見つけることができます。これからは、こだわり過ぎずに次の「夢」にスムーズにシフトすることのほうが求められているのかもしれません。
 いまは具体的に就きたい職業ややりたいことがなくても、「こんな社会にしたい」という言葉にもならない漠然とした思いがあれば、思いを意志に育てるプロセスとして「いまはとりあえず」とか「試しに」とか、柔軟で軽やかに次の一歩を踏み出すことができそうです。これからの「人生100年時代」はそんな「夢の持ち方」が必要なのかもしれません。
 映画の話しに戻ります。私の勝手な受けとめ方ですが、ラストシーンで描かれているサムの姿はメタファーで、レールの上ではなく、自分の人生にオーナーシップ(≒意志)を持って生きはじめたことを描いたシーンのような気がします。私と同じまんなか世代のフランクのラストシーンには、勝手に「その後の生き方」に想像を膨らませてしまいました。まだまだ終わらない人生、あきらめていない「夢」がありそうな。映画「ハーツ・ビート・ラウド」は、子どものために親が「夢」を犠牲にするというストーリではなく、「夢の持ち方」のパラダイム・シフトを描いているのだとみることもできるような気がします。

 


201906nakamuraまんなかタイムス〜執筆者プロフィール〜
中村 容(なかむら よう)
学生の就職支援に携わったのをきっかけに、働き方や暮らし方の選択をとおして人が成長していくプロセスに関わるキャリア支援の魅力にはまる。現役世代のキャリアシフトを支援する「まちのキャリアラボ」小さな映画館シネコヤで映画作品から暮らし方や生き方を考えるイベント「おしゃべり考房」など、地域をフィールドにキャリア支援に取り組んでいる。地域活動での肩書きは「まちのキャリアデザインマスター」。本業は大学職員。

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