どまんなかvol.5岩井紀穂さんの生き方

紺のスーツをパリッと着こなして、優しい笑顔で待ち合わせの場所にあらわれた岩井さん。インタビューの一つひとつに言葉を選び、丁寧に伝えてくださいました。
「ずっと第2希望だった・・」という子ども時代を経て、今は「48年間悩みを抱えているトランスジェンダー男性のプロフェッショナルです」と力強く答えてくださった、レインボーさいたまの会共同代表、草加市LGBT+カフェ代表、岩井紀穂さんの生き方を、どまんなかに届けます。

岩井 紀穂 (イワイ・カズホ)1970年草加市生まれ。埼玉県立春日部女子高校、某大学人文学部を卒業。レインボーさいたまの会共同代表、草加市LGBT+カフェ代表。性自認は男性でありながらも、身体が女性であることを幼少期から悩み続ける。大学卒業後は、飲食店自営業・接客業などを経験。20代前半からレズビアン&ゲイの活動を始め、2003年から、トランスジェンダーとしての活動を本格化させる。2019年5月、埼玉県内で「同性パートナーシップ制度」の導入を求める活動とトランスジェンダーへの理解の啓発活動を開始。寛容な未来を信じ活動中。

 

-現在の活動で大切にしていることはなんでしょう?

大切にしていることは「優しく」そして「受け入れること」です。みんな「受け入れられなかった」という実情を持った人たちなので、何よりも優しく。そして民意に対しては、戦うわけではないですが、「ぼくたちのどこが悪いの?」という問いを考えてもらうことですね。

-今の生き方に至るきっかけを教えてください。

3歳の七五三の時、「西城秀樹みたいになりたい!」という希望を親が叶えてくれて、ベージュのスーツと赤いネクタイを用意してくれました。でも7歳では着物姿の写真が残っています。この頃には、「女子は着物を着なければいけない」と気づいていたという事です。
最初に社会に否定されたのは、8歳の頃。野球チームの入団テストで「女の子はダメ」と断られました。同じ年の男子と一生懸命練習してきたのに・・です。その後、女子野球チームに入団しましたが、本当に望んでいたことではない「第2希望」という屈辱感を味わいました。
生理の話し、学校行事の自然教室のお風呂、中学校の制服のスカート着用など、本当に一つ一つが苦痛でした。10歳の頃からお風呂は電気を点けずに入っていました。見たくなかったんです。高校は女子高に行きました。男子の中にいると本当の男子でない劣等感を味わうと思ったからです。女子高ではカッコいいとモテましたが、「男役」であって「男性」ではないという、この時も「第2希望」という思いを持ちました。

性に対して語ることがタブーであることが、子どもながらにわかってくるのは、皆さんが考えているより早いです。そして、偏見や間違った情報が人々の心の中にあるため、誰にも相談できず、孤独感とあきらめの中で生きていました。
料理人歴20年ですが、これも、「性別」がネックになっています。大学を卒業した年はバブルがはじけた年でした。僕は、制服でスカートをはく会社には行けなかったんです。本当は警察官になりたかった。でも、ミニスカポリスになんてなったら困るので諦めました。どこに行っても「性別」が生き方に影響するんです。
父が55歳で脱サラして「釜めし屋」をオープン。社会になかなか適応できなかったので、その店を手伝い始めたことから、もともと興味のあった料理の世界につながりました。20歳の時、初めて新宿2丁目の女性オンリーの店に行きました。一人じゃないんだという安堵感と、人生で初めて味わうような喜びを感じました。カミングアウトする意志が固まったきっかけでもあります。

現在、レインボーさいたまの会共同代表をしています。メンバーは100名くらい。
21歳の時から、顔出しで活動していました。地元で顔出しは厳しいですが、加藤岳代表との出会いから、やらないとまた同じように困る人が出るという思いで活動しています。ずっとレズビアンだと思っていましたが、2003年にトランスジェンダーだとわかりました。今の子たちやこれからも生まれてくる子たちに、自分の生きにくさを「おかしくないんだよ」「そのままでいい」と伝えたいと思っています。

-難しいと感じていることはありますか?

人の考えを変えることですね。まず知って判断して欲しい。当事者の中には、出てこられない人がまだまだたくさんいます。いろいろ思っているけれど、表現するまでに至らなくて、苦しい思いをしている人もたくさんいるんです。じつは、様々な集まりの場に出て来ることができたら7割解決なんですが。これだけ差別されている人権問題が、置き去りにされてきたんです。家庭で、学校で・・きつい対応をされてきた困難リストもあるんですよ。もう読むと涙が出ます。あきらめるしかなかったんです。なかなか理解されない一因に、ある年齢より上の世代は、メディアも含め「性」を面白おかしく扱う事をOKしていた風潮があったからだと思うんです。悪気のない一言がどれだけ人を傷つけるか‥。
そして、親も情報がなかったから悩んだと思います。僕はラッキーな親に会えましたが、カミングアウトしたら勘当された人もいます。だからこそ、行政が認めてくれることで、「NO」と言っていた親が変わり、救われる家族もいるんです。LGBTの中でもスペシャリスト・・学者や政治家が出てきたことで変わってきました。そして今後はオリンピックで国際的に注目されます。G7の中で同性パートナーについての法律がないのは日本だけなんですよ。恥ずかしい。

変わることを恐れている日本。LGBTの問題は、そんな世の中を変える良いテーマであると思っています。このテーマで話せたら、他の少数派の人たちも声をあげられるのではないでしょうか。じつは、草加市議会の6月定例会に提出していた「請願第2号 草加市におけるパートナーシップの公的認証および性的少数者に関する諸問題への取り組みに関する請願書」が、6回の特別委員会の審議を経て9月定例会において、全会一致で採択されました。「パートナーシップ制度」導入まで、頑張ります。

-なぜその生き方を続けているのですか?

素晴らしい方にお会いできる機会があるからです。行政等に意見を届けるとき、当事者が行くと面倒くさい人達・・と思われがちなんです。当事者以外の言葉が、じつは相手に届き、響きます。力を貸してくださる議員さんにも勇気をいただき、素晴らしい方たちと出会いつながり、そこからトイレ問題など解決のための協力企業ともつながってきています。僕は48年間悩みを抱えているプロフェッショナルです。振り返ると受け入れられないことが当たり前でした。同じようにみんなも傷ついています。諦めたりがんばり過ぎたせいで、精神疾患を持つ仲間も多いです。これは人権の問題なので、国や県がしっかりするべき。そこから市民の理解につながります。

一刻も早く解決したいのは、自殺など命の問題でもあるからです。アメリカは全州で同性婚ができます。じつは、自殺が減ったという事実があります。昨年、日本の自殺件数は10代が過去最悪でした。自殺するとき、もし性別の問題を抱えていても言いません。でも性の問題も関係しているはずです。知識があれば、「私が悪いのではない」と気づきます。理不尽で不寛容な世の中で生きるのは大変だからこそ、ぜひ「知らなかったら聞いてください。」と伝えたいのです。ネイティブアメリカンの社会ではトランスジェンダーは大地の創造主からの贈り物とされています。2つの精神、人と違う考え方を持っているんです。今の僕が持つ、勇気、行動力、自尊心、自信、笑顔が誰かに少しでも伝わるなら、それが自分の仕事、使命であると思っています。

-ご自身が10代20代の頃、50代の方はどんなイメージでしたか?

ものすごく大人。おじいさん、おばあさん・・年を取っているイメージでした。

-今、ご自分がその世代になってみて、いかがですか?

ダメダメです・・。でも、人生100年、まだ発信できることはあるかな。自分にしかできない「役立てること」はあると思っています。

-まんなか世代として気になることや知りたかったことはありますか?

気になるのは、有権者の望む世の中になっているのか・・という事です。多数派(マジョリティ)だと思っているのは自分が思い込んでいるだけではないですか?いろんな生き方や可能性、グラデーションがあることや、結婚・子育てすべてにおいて、向いている人と向いていない人がいることを知り考えて欲しい。
「生きにくさを無理せず、自分の気持ちに大事に寄り添っていいんだ」ということや「自分で生きやすくするのは何も悪いことではない」ということを知っていたら、もっとラクに生きられたかもしれません。


編集長の一言
小さいころ、幸せではあったけれど、たくさんの我慢をしてきたとおっしゃる岩井さん。性別違和を前面に押し出しての活動は時に辛くもありますが、小さいころの自分への癒しでもあると感じていらっしゃるそうです。インタビューの後、ミュージカルが好きな共通点で新たな一面も見せていただきました。