知りたい:差別と排他の根深さを探る

知りたい:差別と排他を支えているのは

日本社会は排他的、差別的な傾向が強い。それは人の意識に深く根を下ろし、いじめ、ハラスメントといった行動となって表れ、時には命をも脅かす。民主主義であるはずなのに、なぜこうなのか。(古川晶子


私たちは様々な差別のなかで生きている、性別、出身地、学歴、雇用身分、年齢・・・ありとあらゆるものが差別の理由になる。差別を受けないためには、そのいずれにおいてもわずかな疵も隙もない存在でいなくてはならないが、簡単ではない。また、差別されない側になれていても、いつ転落するかわからないので常に緊張を強いられ、そのストレスは弱いものに向かうという悪循環を生む。

戦後、日本には民主主義が導入され、各種の法制度はそれを具体化するよう作り替えられた。たとえば、結婚は両性の合意によってのみ成立することになり、「イエ」には個人の人生を支配する強制力を持たないとされている。当然、親は子を支配してはならないし、夫から妻、夫の親から妻への支配もあってはならない。

しかし、結婚は個人よりも「イエ」と「イエ」との結びつきだと考える人はいまだに多く、新しいカップルもそれに従うことを強制されがちだ。夫は家族を養い、妻は夫を支えるものだというスピーチは、いまだに結婚披露宴の定番だ。最近も、その種のスピーチをされた共働きカップルの女性がSNSに失望を発信したところ、逆に多くの非難を受けたという事例がある。また、「お子さんまだ?」に始まる「悪気のない質問」も後を絶たない。そして子どもが生まれたら女性が仕事をやめて子育てに専念することを奨励する「3歳児神話」を信じている人はまだまだいるし、その一方で、労働人口の不足から働き続けることも期待される。その場合、女性は勤務しながらも家事・育児を主に担い夫に不足を感じさせないことを求められる。

結婚しなければプレッシャーから逃れられるかというとそうはいかない。女性は生涯にわたり「愛され」「若見え」など、男性の目に快い容姿を保つことまでも要求される。男性は「頼もしさ」「力強さ」を保つべきとされ、独身や非正規雇用であれば肩身の狭い思いをし続けなくてはならない。

このような、性別と生き方や役割を結びつけ規範とすることをジェンダー(社会的な性別)という。日本におけるジェンダーの問題に詳しい、ジャーナリストの重川治樹さんは、この根深さが解決されない大きな理由に心当たりがあるという。それは、一見、ジェンダーとは何の関係もなさそうでありながら、実のところ差別の構造を深掘りし強化し続ける人々の行動だ。

「皇居勤労奉仕」という活動がある。戦時中、空襲に遇った皇居の焼け跡整理を有志が行ったのが発祥とされる、連続する平日の4日間、皇居と赤坂御用地で除草、清掃、庭園作業などを行うボランティア活動だ。宮内庁が所管するもので、ホームページには「美しい皇居を守る力」-それが,皇居勤労奉仕です」に始まる案内がある。個人でなく団体で申し込むこと、当日は身分証の確認と手荷物検査を行うことなどが記載されている。

重川さんは「21世紀の今、この活動に嬉々として参加し、記念品を自宅の神棚に飾る人々がいる。その気分が共有されていることが、この社会で差別の問題が変わらない大きな要因ではないか」という。社会の頂点に鎮座し、その近くにいるだけでも大きな名誉、という存在があることは、裏返せば、底辺にあり、かかわることすら忌むべき存在があることと表裏一体だ。なぜ一方に特別な人々がいて、その住居や生活全般が税金あるいは「勤労奉仕」という形で差し出された市民の労力によって賄われているのか。もう一方の端に位置する人たちは、今夜泊まるところも明日食べるものもなく、生活保護を申請するのも難しい場合があるのに。重川さんは「自分達が差し出している税金のゆくえを追及し、問題提起する人がいない」と指摘する。

特別な人々がいて、ないがしろにされる人々がいる。その両極の間に様々な差別と抑圧のグラデーションがあり、問題を見えにくく、根深くしている。そのなかでいくらジェンダーの問題に取り組む、「男女共同参画社会」を推進する、といっても、その言説そのものが論理矛盾なのだ。「それでは成果が出るはずがない」と重川さんはいう。まことに正しく、辛いことである。


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