知りたい:「本屋」はなぜなくならないのか

知りたい:「本屋」はなぜなくならないのか

「いまある職業の○%は○年後にはなくなる」進路指導の研究会やビジネス資格のセールストークでよく聞かれる言い回しだ。そういわれると浮き足立ってしまうが、なくならない職業もあるはず。たとえば「本屋」はどうか。(古川晶子

本が売れないという。いま、電車やバスに乗って周囲を見回すと、ほとんどの人がスマホをじっと見つめていて、本を読む姿は少ない。ゲーム、動画、SNSなどが、かつての本や雑誌にとってかわっている(電子書籍を読んでいる人もいるかもしれないが)。街なかの書店が次々に姿を消し、なんでもネット通販で買えるいま、「本屋」という仕事は近い将来なくなる、といわれても不思議ではない。

その一方で、新たな開業もある。個性的な小規模の書店、イベントスペースを併設したブックカフェなどが、ぽつりぽつりと登場している。はたして「本屋」はなくなるのか。なくならないとすれば、その存在意義はなんだろう。

Antenna Books & Cafe ココシバ(川口市)で開催された「アジアの本屋さんの話をしよう」に参加した。石橋毅史さんの最新刊『本屋がアジアをつなぐ|自由を支える者たち』(ころから)をもとにお話を聞かせていただく「著者トーク」というイベントだ。

石橋さんは、書店やその店主を訪ねて、来歴や心情、展望などを取材し、「本屋」という仕事のあり方を考える「本屋ジャーナリスト」だ。著書の一部は韓国や台湾で翻訳され、現地の同業者を中心に好評を得ていることから、「本屋」という仕事をめぐる事情は海を越えて共通するものがある、という着眼点を得た。それら各地の「本屋」を訪ねて書かれたのが『本屋がアジアをつなぐ』である。

中国、香港、韓国、台湾、そして日本国内の個性的な書店やその店長、オーナーなどを訪ねて書かれた22編からは、それぞれの場所や人のもつ空気が感じられる(本好き・書店好き限定かもしれないが)。どのエピソードにも共通するのは、人と本の出会いを作る「本屋」でありたいという意思と、その成否が売り上げという、わかりやすいバロメーターで見えることの面白さだ。

では、違っていることはなにか。それは、日本以外の国々における、言論と表現の自由の度合いだ。これらの国々では、政権批判や敵国礼賛といった書籍の出版・販売は法に触れるとして、版元や書店が摘発されることがある。また、自由を求める市民と政府の衝突で、死者・負傷者が出ることもある。

「著者トーク」で石橋さんが詳しく紹介してくださった林榮基さんという「本屋」は、現在この問題で大きく揺れている香港で「銅鑼湾書店」を経営していた。中国共産党を批判する書籍を取り扱い、香港の店舗だけでなく中国本土からの発注にも積極的に応じていたところ、中国政府に拉致され約8ヶ月拘束された。顧客名簿を渡す約束で釈放されたが、香港に戻ってすぐその経緯を記者会見で暴露し、台湾に逃走してそのまま滞在しているという人物だ。

これだけ聞くと「本屋」というより社会運動家あるいは革命家のようだが、石橋さんが直接取材して見てとった人物像は、やはり「本屋」だったという。本を売る最大の動機は、そこに顧客がいるから。政治的な理由で「禁書」となっている本は、同時に売れる商品でもあるのだ。林さんの、ほかではあまり売れていない著者の本を何千冊も売った、と話す得意そうな表情を見て、この人は芯から「本屋」だ、と感じたという。

逃走中にもかかわらず、林さんからは、これから台湾で書店を開業する話も出たそうだ。石橋さんが「本屋」について、職業というより「照れ屋」「がんばり屋」のような人格を表す言葉ではないか、とおっしゃるのが納得いくエピソードだ。

香港で「中国の人たちに自由になってほしいと思っている本屋」やってきた林さん。そして韓国にも、台湾にも、政権批判などの書籍を仕入れ、売り続ける「本屋」が、これまでの歴史のなかでも、また現在も存在する。「本屋」は、その国や地域の自由を象徴するのだ。

ひるがえって、日本はどうだろう。ヘイトスピーチやヘイト本は跡を絶たないし、最近、不穏な出来事がいくつかあるが、政権批判をしたという理由で逮捕されることはさすがにない。だが、今後どんな方向に向かっていくかは、実際のところ不透明だ。そのとき「本屋」が果たせる役割こそが「本屋」の存在意義であり、いま新たに開業している書店は、その意義を感じる「本屋」が生まれ続けることの表れかもしれない。「本屋」がなくならない社会に生きていたいと思う。


Antenna Books & Cafe ココシバ

ころから